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2016年8月13日土曜日

映画:『サバイバル・オブ・ザ・デッド』

〜ストーリー〜
死者が蘇るようになり3週間後。
元州兵のサージら一行は、
ゾンビの現れない安全な島があるという情報を得る。
しかし、その島では、
ゾンビは全て再び殺すべきというオフリン派と、
ゾンビとの共存の道を探るために生かしておくべきだというマルドゥーン派に分裂しており、
サージらはその対立に否応なく巻き込まれることになる。

ジョージ・A・ロメロが2009年にメガホンを取り制作したゾンビ映画。
本作のゾンビは「生前の行動を繰り返す」という設定を持っており、
そんな知性があるなら飼いならすことができるのでは?と考える一派と、
とにかく危険を排除しようとする一派との対立がメインに描かれる。 
ただ、西部劇を参考にしたというこの対立だが、
限られた人数のおっさん同士が話し合うこともほとんどなく銃を向け合うというものでどこかショボい。
また、ゾンビの行動についてもあっさりとしか描かれておらず、
全体的に何がやりたかったのかよく分からない超薄味な映画になってしまっている。
グロいシーンもほとんどないし。

2016年8月5日金曜日

映画:『シン・ゴジラ』

※ネタバレ注意。

〜ストーリー〜
東京湾に突如巨大生物が現れた。
ゴジラと名付けられたその生物は、
驚異的なスピードで進化し東京を瞬く間に火の海と化した。
アメリカを中心とした国連軍による核攻撃のカウントダウンが迫る中、
若き内閣副官房長官・矢口らを中心としたチームは、
ゴジラの脅威のみならず日本とその首都である東京、国民を救うべく、
最終作戦ヤシオリ作戦を実行に移す。

庵野秀明と樋口真嗣がタッグを組み製作された、
12年ぶりの純和製ゴジラ映画。

現代の日本にゴジラが出現した時にどのような事態が想定されるのかが政府の視点を中心に、
一切の無駄を省いたものすごいスピード感で展開されていく。
ゴジラが登場するシーンは意外と少なく、
政府の会議や自衛隊の作戦会議がストーリーの多くを占めるにも関わらず、
中弛みもなく最後まで鑑賞できるのはテンポの良さに負うところが非常に大きい。
また、全身全霊をかけてゴジラに立ち向かう関係者の姿は非常に胸熱。
ちなみに、一部の左寄りな人が批判している、
政府や自衛隊のプロパガンダだ!とか、
憲法9条を馬鹿にした映画だ!などという観点は、
普通に鑑賞する限り微塵も感じられないのでご安心を。
登場する兵器はほぼ全て自衛隊装備準拠らしく、
メカゴジラやモゲラはおろか、
ゴジラファンにはお馴染みの轟天号やスーパーX、オキシジェンデストロイヤーのような超兵器も一切登場しない。
普通の兵器じゃだめだ→もうちょい強い兵器なら多少効いたぞ→じゃあこの作戦でゴジラをやっつけよう!という組み立てに無理がない。
かつて量産された「プロレスゴジラ」を好きな人には物足りないかも知れないが、
基本的には「現実(ニッポン)vs虚構(ゴジラ)」という映画のキャッチコピー通り、
骨太なゴジラを楽しめると思う。

さて、肝心の主役ゴジラだが、
色々なかたちで期待を裏切られる。
まず、初回出現時は無茶苦茶しょぼい。
昭和のウルトラ怪獣と見紛うような着ぐるみ感全開の顔立ちをしている。
おまけに陸上に完全に適応できていない足の生えた巨大肺魚という扱いなので、
進路を豪勢に破壊しながらもモタモタ進軍する様はどこかコミカル。
そして、一度海に帰った後、
ようやく従来のフォルムとこれまでで最も凶悪な表情をしたいつものゴジラが再び姿を現す。
ところが、ここでもう一つ違和感を感じる。
圧倒的なパワーを持ちながら自衛隊の攻撃により多少ピンチに陥ったにも関わらず、必殺の放射線を吐かない。
あー、そこは現実に即して飛び道具を使わない生物としてのゴジラを打ち出しているのか…。
と思った矢先、
都心に到達したゴジラはいきなり口から紫色の放射線を放ったかと思うと、
さらに背中からも幾本ものレーザービームをぶっ放し、あっという間に東京を火の海に。
こんなのゴジラありか!?と度肝を抜かされるシーンなのだが、
それまでのストーリーや設定の積み上げがあるため、
ギリギリ許容範囲内、
ゴジラのパワーを再認識させられることになる。
この夜空に走る放射線と燃え盛る東京、そして、そこに佇むゴジラという中盤のこのシーンはまさに圧巻の一言、劇中屈指の名場面となっている。
(エヴァンゲリオンを観たことのある人なら、
ここでラミエル戦を思い出すこと必至)
ちなみに、最終戦では尻尾の先からもレーザービームが…。

総じて満足度は高い。
強いて難点を挙げると、
まったく子ども向きではないので、
夏休みに家族で映画を楽しみたいという方はドリーでもどうぞ。

2016年7月9日土曜日

映画:『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』

※ややネタバレ注意

〜ストーリー〜
人類がエイリアンの襲撃を退けた「1996年の戦い」から20年。
外宇宙の敵の存在により人類は手を取り合い平和の時代を迎えるとともに、
エイリアンのテクノロジーにより科学技術を発展させ、来るべき戦いに備えていた。
しかし、墜落したエイリアンの宇宙船が密かに発信していたSOS信号により、
20年前よりもはるかに強大なパワーを持ったマザーシップが襲来。
再び地球を滅亡の危機に陥れる。
このままなす術なく滅びの時を迎えるかと思われた人類であったが、
そこに思いも寄らぬ味方が現れる…。

『ユニバーサル・ソルジャー』やあの悪名高き『GODZILLA』のローランド・エメリッヒが、
ウィル・スミスや『ジュラシック・パーク』『ザ・フライ』のジェフ・ゴールドブラムを迎え製作した『インデペンデンス・デイ』の20年越しの続編。
ジェフ・ゴールドブラムや大統領役のビル・プルマンらは続投し、
降板したウィル・スミスの代わりに『マイティ・ソー』シリーズのクリス・ヘムズワースの弟、リアム・ヘムズワースや、
脇役会一の名優ウィリアム・フィクナーらが主役を固める。

元々その御都合主義的な展開や、
アメリカ至上主義的なストーリーを批判されながらも、
1996年当時最高峰のSF技術となんだかんだで白熱するシーン満載のストーリーで大ヒットを飛ばした作品であったが、
今作は枚挙を挙げれば暇がないほど設定からストーリーから何もかもが酷過ぎる。
一例を挙げると、

○散々科学技術を発展させたのに一番苦戦させられたはずのバリア技術を全く研究していない馬鹿な人類。

○単なる赤外線でUFOの内部を事細かに観察できたくせに、とある理由による地球滅亡までのカウントダウンをたまたまUFOの近くにいたトレジャーハンターに任せるアホな人類。
↑おまけに何をどう計算したらそうなるのか、ずっと計測していたはずなのに土壇場になって5時間も計算をミスっていたというアホなトレジャーハンター。
↑それをサクッと受け入れるちきゅうぼうえいぐんの皆さん。

○重力を操り大都市を一瞬で壊滅させた力を地球に着陸する時にだけ使い、後はドンパチを繰り広げるだけの愚かなエイリアン。

○死ねば撤退を余儀なくされるほど重要な役割を持つ女王の危機をほったらかしにし、人間とドンパチ続けるやはり愚かな雑魚エイリアン。
↑女王が死んだところであと2分頑張れば地球を滅亡させられていたのに。
こんなものは序の口で、
とにかく思いついた展開を繋ぎ合わせただけとしか思えない酷いストーリー展開が延々続く。

アクションにしてもこの映画レベルのSFであれば、もはや幾らでも存在しており、
アクションシーンすら見せ場でなくなってしまった。
ウィル・スミスのように、
画面に映っているだけで映画を牽引していく力を持った大スター不在も痛い。
ただし、アンジェラベイビーだけはめちゃくちゃ可愛い。

前作は個人的には大好きであれやこれやの批判にも擁護してきただけに、
今作の出来は非常に残念。
実はさらなる続編を匂わせる終幕なのだが、
これならいらない。

2016年4月25日月曜日

映画:『アイアムアヒーロー』

〜ストーリー〜
売れない漫画家・鈴木英雄は、
同棲中の恋人・てっこから三行半を突きつけられ、家を追い出されてしまう。
しかし、やはり英雄と一緒にいたいというてっこからの電話に急いで自宅に戻ると、
そこには変わり果てた姿で狂乱するてっこの姿があった。
襲いかかってきた彼女を死なせてしまった英雄はあわててその場を逃げ出すが、
街にはてっこと同じ症状にかかり人を襲撃する存在=ZQNが溢れかえっていた。
そんな最中、女子高生のひろみと出会った英雄は、
インターネットの掲示板で安全だという情報を得た富士山へ向かう。
その途中、とあるアウトレットモールに立ち寄った英雄達は、
ZQNに襲われるが、すんでのところで藪に助けられる。
アウトレットモールの屋上では、
伊浦率いる集団がZQNの襲撃を退け、
アウトレットにある商品を集め何とか生き延びていた。
丁重に迎え入れられた英雄であったが、
伊浦の目的は英雄の持つ実弾銃であった。
やがて、英雄とひろみの存在は組織に微妙な変化を与え始め、
統率を失った伊浦らはZQNの襲撃に遭い…。

人気コミック『アイアムアヒーロー』を、
『図書館戦争』の佐藤信介監督がメガホンを取り、
大泉洋、有村架純、長澤まさみら豪華キャストを迎え実写映画化した作品。
原作は未完だが本作ではコミック8巻までが映像化されている。

おそらく、本作を鑑賞においては、
その人の持つ背景がこの映画に対する評価に大きく作用するものと思われる。

まずは、原作未読かつゾンビ映画はせいぜいバイオハザードくらいという層。
この層の人は銃でZQNの頭がぶっ飛ぶというシーンに耐性さえあれば、
パニック満載・アクション満載のエンターテイメント作品として純粋に楽しめると思う。
グロいシーンは多いが目を背けたくなるほどのものではなく、
また、こけ脅しのシーンはほとんどないため、
それを知っていれば安心して鑑賞できる。

次に、原作未読かつジョージ・A・ロメロの名前は知っているくらいにゾンビ映画に親しんでいる層。
この層の人は、本作が単なるエンターテイメント作品であると割り切って観なければ、
過去のゾンビ映画のパクリであり、
パニックシーンばかりで「人間」を描けていない底の浅い作品だという批判をするものと思われる。
(少なからぬゾンビ映画好きは、
ゾンビ映画をパニック作品として鑑賞せず、
極限状況下に置かれた人間の生き様を観るための映画と信じている)

ただ、この2つの層の人に言えるのは、
ストーリー中盤からひろみが陥るとある状態の描かれ方が中途半端なため、
存在意義もよく分からないだろうし観賞後もあれは何だったんだろう?ともやもやした気分を抱えてしまうだろうこと。
これは興行収入次第で続編をどうするか決めようとしていると思われる制作委員会の思惑が悪い方に作用してしまっている。

続いて、原作を知っている層。
こちらもエンターテイメント作品と割り切るかどうかで意見は真っ二つに分かれるだろう。
原作はパニックシーンの合間合間に登場人物同士の会話や交流を描くシーンが数多くあり、
ギリギリのラインを保とうとする人間の理性を、
ZQNの存在によりいとも容易く瓦解させる所に面白さがある。
本作はこれをバッサリ切り捨てて、
アクション満載のエンターテイメントとして突っ走るため、
これを不満に思う原作ファン層も少なくないかも知れない。
ただ、キャラ造形からストーリーラインに至るまで、
邦画には珍しいほど忠実に原作が再現されているため、
その点に好感を持つ層も間違いなくいるだろう。

個人的には原作購読中の後者の立場で、
アクションシーンも邦画にしてはなかなか迫力があり、それなりの見応えがあった。
だが、ハナから続編を制作するつもりで、
色々な要素を整理していけばもっと面白い作品に仕上がっただろうなとは思う。
先述したひろみの描かれ方は残念であり、
ここだけはもしかして映画オリジナルの設定を加えても良かったのではないかとすら感じる。

あと、個人的にツボだったのは、
原作では描かれていない中田コロリの漫画が、
浅野いにお提供だったところ。

少々グロいところに目を瞑れば、
和製パニック映画としては十分健闘している出来の作品だと思う。

2015年8月23日日曜日

映画:『キャビン』

〜ストーリー〜
森の奥の別荘にやって来たデイナら5人の大学生。
地下室で見つけた日記に書かれた文言を読み上げた瞬間、
地中から死者が蘇り彼らを次々と殺害していった。
だが、これはとある目的のため謎の組織がひ仕組まれたものだった…。

一見よくあるB級ホラーかと思いきや、
その全てをとある目的のために謎の組織がコントロールしていた…という異色のSFホラー。
『死霊のはらわた』『CUBE』『IT』『アナコンダ』『ヘルレイザー』など、
様々なホラー映画へのオマージュやモチーフが数多く登場。
西洋ホラー映画祭りとでもいうべき作品となっている。
(ちなみに、監督はアメコミヒーロー祭り『アベンジャーズ』のジョス・ウィードン。)
したがって、ホラーそのものを楽しむというよりかは、
ある程度ホラー映画を観ている人が半分コメディのような感覚で、
登場するホラー映画当てゲームを楽しむのが最も正解な見方。
「古きもの」なんて言葉でピンとくるものがある人ならストーリー中盤でオチも何となく読めると思う。
何よりこの映画で一番驚くのは、
最終盤で登場するとある女優と、
デイナを演じる佐藤かよ似のクリステン・コノリーが、
出演時点で32歳という年齢なのに女子大生にしか見えないという美魔女ぶりである。
また、大学生のひとりを『アベンジャーズ』のソー役ですっかりおなじみのクリス・ヘムズワースが演じている。
何も知らずに観ると「あ、昔はこんな端役をしてたのね」と思うかも知れないが、
本作の出演は『マイティ・ソー』『アベンジャーズ』ですっかりスターの仲間入りした後である。

2015年5月4日月曜日

映画:『GODZILLA ゴジラ』

〜ストーリー〜
1999年、芹沢博士はフィリピンで謎の超巨大生物の痕跡を発見する。
その頃、日本では原因不明の地震により原子力発電所が崩壊するという事故が起きていた。
15年後、震源地より超巨大生物が出現、
それと同時に海からはゴジラが姿を現した。
2体の怪獣の戦いは日本からハワイを経てサンフランシスコへと舞台を移す。

2014年公開のゴジラ最新作。
主演を渡辺謙が務めた事も話題となった。
・1954年のゴジラ1作目の登場人物・芹沢博士と同じ名を持つキャラクターの登場。
・ずんぐりむっくりした重厚感のあるゴジラの造型。
・ライバル怪獣の登場。
と、さぞ古き良き怪獣映画をハリウッドの最新CGで迫力たっぷりに描いてくれるのだろう…
そんな風に思っていたらとんでもない期待外れに終わった。
・開始1時間経っても姿を現さないゴジラ。
・3回ある怪獣同士のバトルシーンの内、1回はニュースとしてテレビ画面に映っているだけ、もう1回はこれからという所で画面が切り替わる。
・あとは怪獣の足元で人間がわーわー騒いでいるのを延々見せられるだけ。
・おまけに全体的に画面が暗くて何やってるか分かりにくい。
ゴジラなんてトータル10分くらいしか画面に映ってないんじゃなかろうか?
ぜひ、『パシフィック・リム』のスタッフで作り直して欲しい。

2014年5月5日月曜日

小説:安生正『生存者ゼロ』

北海道沖の採掘プラントの従業員が、
一夜にして凄惨極まる姿に成り変わり発見された。
その遺体からは未知の最近が採取され、
新型の感染症が疑われたが被害は広がることなく、
原因不明のまま事件は収束するかと思われた。
だが、1ヶ月後、北海道のとある街の住民6万人が、
やはり一夜にして同じ症状で全滅するという事態が発生。
両方の現場に居合わせた自衛官・廻田は原因と被害拡大の防止策を探るように命じられる。

安生正の第11回このミス受賞作品。
たった一夜にして多くの人間を死に至らしめる謎の感染症とその意外な原因、
その対応に追われ醜態を晒す日本政府と諸外国との緊張など、
プロットとしては面白い部分が多々ある。
しかし、何もかもを詰め過ぎた結果、
不必要だったのではないかという要素や説明不足のまま読者を置いていく部分も多々ある。
例えば、
主役のひとりである覚醒剤中毒の元細菌研究者は、
事件の原因究明のキーパーソンになるのか(羊たちの沈黙のレクターみたいな)と思えば、
ストーリーをかき回すだけで不快感しか感じられない。
あるたは、全く異なる時間と環境にあるはずの人物が共通して聞いた「神の啓示のようなもの」については何の説明もない。
一時は実は本作はカルトホラーなのかと思ってしまうほどこのプロットは不要だ。
そうかと思えば、政府のグダグダな対応、政治家のダメさという部分については執拗なほど細かく描写があり、
著者は国に身内を殺されたことでもあるのかと首を傾げたくなる。
このようなチグハグさが全体的に感じられ、
せっかくの良いプロットが台無しになってしまっていると思う。
ただ、見せ場を視覚的にイメージすると映画に向いているような箇所が散見されるため、
上述したような余分な要素を削り取れば、
なかなかのエンターテイメント作品になりそうな気はする。

2014年3月3日月曜日

映画:『ゼロ・グラビティー』

〜ストーリー〜
医療技師でありながら宇宙飛行士となったライアン。
指揮官であるマットと船外活動を行っていたさなか、
ロシアが破壊した人工衛星の破片がステーションに直撃し、
ライアンは宇宙空間に放り出されてしまう。
パニックに陥りつつも機転を利かせなんとかマットと合流したライアンは、
他の宇宙ステーションにある脱出艇を求め宇宙空間をさ迷うが、
その間にも人工衛星の破片は地球を周回していた…。

『天国の口、終りの楽園。』といったミニシアター系作品から『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』といったファンタジー大作まで、
あらゆるジャンルの作品をこなすアルフォンソ・キュアロン監督が、
サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニーをキャストに迎え製作したSFパニック。

雪山やら鮫の棲息する海やらロッククライミング中の事故やら、
孤立無援で極限状況下に置かれるパニックものは数多くあれど、
その舞台を宇宙空間に置き新境地を開いた作品。
宇宙や無重力の映像表現は素晴らいし、
50歳のおばちゃんにも関わらず、
身体をクルクルクルクル回転させらたサンドラ・ブロックの撮影中の労苦が偲ばれはするものの、
ストーリー自体は危機→脱出→危機→脱出の繰り返しで単調なものだし、
ややご都合主義的な展開が散見される。
(例えば、これだけの惨事にも関わらず、脱出艇だけは毎度無事とか)
主人公ライアンのとある過去のエピソードも蛇足的でしかなく、
どうせならより掘り下げることで危機を脱出する強い意思の裏付けとするか、
いっそ無しにしてパニックに陥る人間の姿を描く事に主軸を置いた方がエンターテイメント性は上がったと思う。
このような点を抜きに単にパニックものとして楽しむにしても、
3D鑑賞するか大画面で鑑賞するかしないと、
単にDVDやBRだけでは映像表現も堪能できないかも。

2013年8月14日水曜日

映画:『ワールド・ウォーZ』

~ストーリー~
人間が凶暴になる謎の感染症が世界各地で広まりを見せていた。
ジェリーはかつて国連に所属し、
内戦や紛争解決のエキスパートとしてその任に就いていたが、
現在は引退し愛する家族と心穏やかな生活を送っていた。
しかし、家族と出掛けたマンハッタンで、
人間が人間を襲い、襲われた人間がまた他の人間を襲うという光景を目の当たりにする。
何とか被害から逃れる事のできたジェリーはかつての同僚から要請を受け、
家族の安全と引き換えに原因究明のために再び"戦地"に身を投じる。

ブラッド・ピット主演のゾンビ・パニック映画。
原作は「Z(=ゾンビ)戦争」を生き延びた人々へのインタビューという形式をとったマックス・ブルックスの同名の小説。
ゾンビそのものの恐怖よりも、
ゾンビの発生によるパニックとそれに伴う終末的世界を描く事に重きが置かれており、
パニック映画としての見方をした方が正解かも知れない。
血飛沫が上がるとかゾンビが内臓をくちゃくちゃと喰らうようなグロいシーンも皆無。
本作のゾンビは『28日後...』以降の「走る感染者」設定を踏襲しており、
走るだけでなく獲物に噛み付く時には飛びかかっちゃうほど元気一杯!
そんなゾンビが大量発生する場面は、
まさにゾンビ渦(禍)という言葉そのもの。
特に、大量のゾンビか壁をよじ登り街に侵入するイスラエルでのシーンは、
どうやって作ったのかが全く分からないほど無数のゾンビが出現し、
大迫力かつ本作の全てを象徴するシーンになっていると思う。

ただ、引っかかる点も幾つかあって、
まず、登場人物達の心理描写が弱い。
例えば、親がゾンビになり命からがら逃げた子どもはその後何もなかったかのように振る舞っているし、
家族の所在が不明になった主人公にしても一瞬悲しむだけ。
他にも家族や故郷を失ったという人物も出てくるのだけどほとんどが一言のセリフだけで終わっている。
この辺りを丁寧に描けば物語により深みが生まれただろうと思う。
ゾンビ映画愛好家の中には、
ゾンビ映画というのはグロいシーンを楽しむものではなく、
ゾンビ渦の発生により極限状況下に置かれた人間模様や心理を観るための映画という考え方をする人がいるくらいである。
その意味からいっても単なるパニック映画に留まってしまっている点が非常に残念。
また、アメリカが世界をどう見ているかが何となく見え隠れするようで、そこが気になる人もいるかも知れない。
例えば、発生源の一つであるとされる韓国の村は、いつの時代のどこの未開拓地だよと思うほど鄙びた描かれ方をしている。
上述のイスラエルのシーンにしたって、
せっかくイスラエルがアラブの難民を受け入れてやったのに、
野蛮に歌なんか大声で歌うから音に敏感なゾンビが寄ってきちゃった、とでも言わんばかり。
ラストでは、ロシアの事を解決策が見つかったにも関わらず戦いを続けるアホ国家扱い。
あー、きっとアメリカってそういう風に世界を見ているんだなぁ嫌だなぁと思う人も中にはいるはず(考え過ぎ?)。
あと、ド派手なシーンを中盤までに集約してしまう竜頭蛇尾的な構成も最終的に本作の評価を下げる原因になり得るのではないかと思う。
ゾンビが大量発生するシーンが前半に固まっているため、
後半の飛行機のシーンやある施設でのシーンはそれと比較してどうしても見劣りしてしまう。
その低くなってしまったままのテンションでエンディングを迎えるため、
何となく物足りないまま劇場を後にすることになる。
普通の映画ならやっぱり終盤に一番面白い所を持ってくるじゃないですか。
こういう映画の作りはパニック映画には結構ありがちで、
例えば、『デイ・アフター・トゥモロー』という映画の場合、
一番の見所であるブリザードで街がどんどん凍っていくシーンが早い内に訪れるので、
その後屋根から転げ落ちそうになるとかオオカミに襲われそうになるシーンが地味に見えて仕方がない。
え?これで終わり?となってしまう。

とは言え、お金がかかっているだけあって、
エンターテイメント性は十分にあるので、
映画でワクワクドキドキしたいという方にはオススメします。